明治大学体育会フェンシング部の歴史
3)現在(平成18年)までの歩み
山口(勝)、小林(隆)、奥寺等により関東リーグ戦で総合優勝し、初の海
外遠征を韓国で実現した。昭和40年12/7〜21大韓フェンシング協会の招きで
遠征。中嶋団長、矢澤副団長、選手14名で大学6校(外国語大、高麗大、延世大、
漢陽大、慶煕大朝鮮大)と対戦。レベルは格段の差があったが選手は気を抜かず
全力で戦い全勝した。
昭和41年、監督は飯田から小林(英)へと引き継がれ、新井主将のもと朋友、
見山、津島、野村、西本、稲田、山口(晴)、松丸、浜野、糠田、笹木、北波等
の12名の優秀なフェンサーを擁して、関東リーグ2年連続総合優勝を遂げ、再
び黄金時代に突入した。次いで倉澤、芝山、山田、佐野、大崎道子もよくまとま
り全日本大学対抗戦でエペ団体優勝を果たした。その年に開催されたユニバーシ
アード東京大会のフェンシング、サーブル日本代表に新井智勝が選ばれ、日本チ
ームは銀メダルを獲得した。伝統あるわが明治大学体育会フェンシング部はその
後数々の名選手を輩出した。
主な成績を上げると、昭和44年は関東学生フェンシング選手権のサーブル個人
で熊代克己が優勝。同46年関東リーグでフルーレ優勝、その年の王座決定戦でも
優勝、また関東学生対抗戦でエペ団体優勝。昭和48年に始めて開かれたアジアフ
ェンシング大会のサーブル個人で石黒信彦が優勝、次いでフルーレ個人で皆木光弘
が準優勝し、明大勢の活躍が目立った。その後も昭和57年に関東学生選手権エペ
個人で小野寺俊浩が優勝、翌年も後輩の鈴木慶樹が同種目で優勝し「エペの明治」
の伝統を引き継いだ。鈴木は更に翌年も優勝、その勢いで全日本学生選手権の栄冠
も獲得した。
監督は伊東正佑(S32年卒)が昭和47〜48年、次いで新喜昭が昭和49年
から9
年間努めた。新喜から湯本能信(S33年卒)が昭和58年〜62年まで引継いだ。
昭和61年に関東リーグ戦が男女同時開催されると女子も全国から高校でならし
た選手が入部し活躍した。
同年、創部50周年を迎え盛大に記念式典が催され、各大学の関係者も多く参加
された。戦前、戦後、また昭和30年代、40年代の青春の思い出話に花が咲いた。
OBと現役の交流こそ他では味わえない体験である。
年号も平成に改められ監督は津島満(S42年卒)が7年間、新井智勝が6年間、山
口勝(S41年卒)が4年間、そして平成17年から現監督井原健詞(S44年卒)が就任
した。戦績からすると苦難の道を歩んだが、歴代の監督、コーチ、部員はよく耐え
て明大フェンシング部の伝統を守った。
平成13年には日本フェンシング協会会長に中嶋英一(S25年卒)が就任常務理事
に石田勝則(S38年卒 現 駿台フェンシングクラブ会長)が就き、フェンシング界
の益々の発展に大きく貢献している。
現在は石田会長、井原監督、コーチの熱意が現役は勿論、卒業生にも伝わり「1
部に復活!」を合言葉に奮闘努力しいる。平成18年の関東リーグ戦で女子のエペ
が2部優勝。1部入替戦で完勝し、見事1部に昇格した。名門復活間近!である。
2007年は三上哲夫が明治大学フェンシング部を創部して70年になります。
幾多の困難を乗り越え、学生時代の楽しかった思い出を胸に刻み、いまここに70
周年を迎えらることを全員で喜び合おうではありませんか!
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